徳川将軍珈琲

2001年、コロンビア帰りの鈴木太郎は茨城県でいちばん賑やかな所でコーヒーを販売したいと思った。まずJR常磐線水戸駅の駅ビルの担当者を訪ねて思いを伝えてみたが、担当者はサザコーヒーを認知しておらず、改札階でもなく、レストラン階でもなく婦人服売り場奥の潰れた喫茶店跡の出店を促された。

次のターゲットは水戸駅のおみやげコーナーに決めたが、水戸市は地上波のTVドラマ「水戸黄門」と「納豆」しか観光資源がないので、鈴木太郎は「水戸黄門」&「納豆」の組み合わせでコーヒー豆を販売しようとしていたが「水戸黄門」の関連商品として徳川マークの使用について悩んでいた。

「水戸黄門」を理解できないと思うので紹介すると、江戸時代の茨城には水戸徳川家の徳川光圀という伝説の人がいたらしく「水戸黄門」と呼ばれていた。TVドラマでの「黄門」は身分を隠した老人で悪者をそそのかし悪事を露呈させてピンチを迎えるが、徳川マークの黒箱で解決する、TVヒーローである。

その黒箱に金色徳川マーク商品を画策している頃、サザコーヒーに徳川さんという人が父を訪ねてきたが不在で鈴木太郎が対応した。徳川という名前が気になり、徳川さんの家のマークは「水戸黄門」と同じとわかり、マークの使用許可を願い出たら徳川さんが焙煎したコーヒー豆を販売することになった。

水戸といえば水戸黄門で、水戸徳川家の老人は何か特別で有名な偉い人なのだろうとずっと思っていたが初老の徳川さんは真っ赤なライダースーツに上品な髭でホンダのレーサーバイクで現れ話を聞くとどうやら水戸徳川家の人ではないらしく、意気投合し千葉県の松戸で翌週に再び落ち合うことになった。

徳川家の説明をすると1603年に戦乱の日本を征服した徳川家康と徳川家が天皇家並みに権力を持った。徳川家は、徳川将軍家(宗家)と、徳川御三家(尾張家、紀伊家、水戸家:大名)のちに御三卿家(一橋家、田安家、清水家:大名ではない将軍家の親戚)が増え江戸時代は7つの家から構成されていた。

鈴木太郎が出会った徳川慶朝さんは曽祖父(4代前)が徳川慶喜15代征夷大将軍の子孫の「徳川慶喜家」の人で水戸徳川家ではなかったが、徳川慶喜の生まれは水戸徳川家で、徳川将軍家の親戚の一橋徳川家の当主になり、のちに将軍になっても徳川さんの家紋(マーク)は出身の水戸家のままらしい。

徳川慶朝さんに松戸の戸定邸という「松戸徳川家」の邸跡の歴史館に案内され、徳川慶喜は征夷大将軍として神戸の開港交渉でフランス人コックを雇ってコーヒーを飲んでいたこと、そのコーヒーを徳川さんと再現して当時最強の日本橋三越百貨店で販売することがものすごいスピードで決まって行った。

まず、徳川慶朝さんは何者なのかといえば、徳川慶喜家4代目当主という人で、初代慶喜家当主の徳川慶喜は15代徳川将軍家当主であったが、幕末の大政奉還後に田安亀之助(徳川家達)に家督を譲り隠居したが明治〇〇年に将軍別家として将軍家と同格の徳川慶喜家を立ち上げた、本筋直系子孫だった。

まず再現するコーヒーは大阪城で徳川慶喜が欧米公使と神戸開

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